「啐啄の機」 No.35(2024年5月1日)

2024.05.01

神さまのチェス
 
新年度が始まってまだ日も浅い、ある日のお昼休みのこと。校長室で机上の書類に目を通していると、入口の方から「校長先生!」と呼ぶ声が聞こえます。顔を上げると、そこには数人の女子生徒が立っていました。

校長室のドアはいつも開放しています。

「どうしたの? 何かご用?」と尋ねると、彼女たちは私にこう言いました。
「校長先生。私たちと一緒にお昼ご飯を食べませんか?」

これまでも校長室を訪れる生徒は幾人もいましたが、ランチに誘われたのはこれが初めてです。不意の申し出に面食らったものの、生徒からのせっかくのお誘いです。あいにくその日の食事は済ませた後だったので、一週間後の昼休みにあらためて校長室に来てもらう約束をして、その日は別れました。

翌週になると約束通りに彼女たちはやって来ました。なぜか一週間前よりも人数が増えていて、私を含めて7人での「ランチ会@校長室」が始まりました。いつも静かな校長室がこの日はとてもにぎやかだったので、他の先生方はさぞかし驚いたことでしょう。もしかしたら、彼女たちはいつも一人で食事をしている私を気の毒に思って、ランチに誘ってくれたのかもしれません。

食事をしながら、私は彼女たちからいろいろな話を聞かせてもらいました。クラスのことや部活動のこと、これから準備が始まる秋の武蔵野祭のことなど、彼女たちがとても前向きに学校生活に取り組んでいることが伝わって来て、聞いている私もわくわくした気持ちになりました。そしてなによりも、彼女たちがこうして信頼し合える仲間に出会い、同じ時間や空間を共有しながら気持ちを通い合わせていることを、私はこのうえなく嬉しく感じました。

昔私が見たドラマの中で、今でもとても印象に残っている一場面があります。そこでは、主人公の青年が、アメリカの物理学者リチャード・P・ファインマンの次の言葉を紹介しています。

「数学や物理というのは神様のやっているチェスを横から眺めて、そこにどんなルールがあるのか、どんな美しい法則があるのか、探していくことだ」

そして、青年はこのファインマンの言葉の後に、「もしかしたら人と人との出会いにも法則があって、今、僕たちがこうして巡り合っているのは、その『運命』という法則を解いたからなのかもしれません」と語ります。

学校というのは、もしかしたら神さまのチェスによって導かれた人たちが出会うところなのかもしれません。気まぐれな神さまがどこかでナイトを跳ね違えていたら、きっとこうした出会いはなかったはずです。それを、私たちは「縁(えん)」という言葉で呼ぶこともありますが、「縁(えん)」は「縁(ふち)」であり、決して中心ではありません。だから私たちは、往々にして大切な出会いを見逃してしまうこともあるのです。

校長室でのランチ会は、私にとってたいへん有意義なものでした。結局、彼女たちが私を誘ってくれた理由は最後までわかりませんでしたが、彼女たちとのこうした出会いの機会が与えられたことを、私は神さまのチェスに心から感謝しています。


本校では、日ごろの生徒たちの活動を公式SNSで随時発信しています。ご関心のある方はぜひフォローをお願いいたします。

TDU公式SNS