東北復興ボランティアに参加して

2018.06.07

高校三年生の森建人君が、春休みに宮城県山元町でボランティア活動に参加しました。
その時の体験を報告書の形にしてまとめてくれましたので、本人の了解を得た上でここに掲載します。

東北復興ボランティアに参加して

高校3年 森 建人

僕は3月30日から3月31日までの2日間、宮城県の山元町という7年前の東日本大震災で地震と津波の被害を受けた町でボランティア活動に参加してきました。
そこでは、7年前に実際にこの町で震災を経験された方に当時の状況や思いを説明してもらいながら町を案内してもらい、またその後、いちご農家さんのもとでボランティア活動として農家のお手伝いをさせていただいたので、そこでの見聞を簡単に報告したいと思います。

この山元町という町は、当時震度6強の地震と6m以上にも及ぶ高さの津波により、637人の方たちの命が奪われた町です。
僕がこの町に着いて初めにもった印象は正直言って「無」でした。辺りを見渡してもとにかく何も無く、崩れた建物の瓦礫と思われるものが何箇所かにまとめられていたり、元々住宅地であった場所も今は何も無い更地となっていたりと、7年経った今でもとにかく酷い状態ではありました。また、震災の影響で町からは約5000人もの人が町から出て行ってしまったそうです。

まとめられた瓦礫等

7年前は住宅地であった場所

そんな中、僕が今回案内して頂いた場所で一番印象に残っている場所は中浜小学校です。
中浜小学校は、同じ山元町に位置する小さな小学校で、当時震災の被害に遭った場所です。当時津波は校舎の2階の高さにまでのぼり、引き波がぶつかったことによって体育館を含む1階は今でも瓦礫などが多く残っている状態です。しかし、当時この校舎にいた児童、職員等を含む90人は素早い避難により全員が助かったことで有名な場所でもあります。現在は学校としては使われていませんが、今でも震災の記憶を思い出させてくれるこの校舎は、震災遺構として保存方法が検討されているのです。

中浜小学校校舎外観

津波による被害を受けた体育館

津波により割れた学校の表札

次にボランティア活動について説明したいと思います。
今回、僕は山元町にあるいちご農園さんでボランティアの活動をさせていただきました。
そもそも、宮城県は全体の野菜生産量の中でも約20%をいちごが占めており、また、山元町でのいちごの生産は県内2位を誇り、隣接する亘理町と併せて「仙台いちご」の大産地となっています。
このいちご農園も7年前には津波の被害を受け、かつていちごがたわわに実っていた場所には、瓦礫と塩水の染み込んだ土地が残されるばかりであったそうです。しかし、被害を受けたその年から多くのボランティアの方たちが駆け付け、今では震災前と変わらず、いちごの栽培が行われているようです。
活動内容は、主にいちごの植え付けに使うポットやピンの洗浄、野生の鳥の侵入を防ぐためのビニールハウスへのネット張り、洗浄液の入った容器の片付け、ビニールハウス周辺の草むしりなどです。特に洗浄作業は、ポットやピンの入ったコンテナ(その数500個以上)を洗浄液の入った水の中でコンテナごと洗うのですが、とても力が必要であり、かつ1個1個きれいにしなければいけないので、非常に大変な作業でした。僕はこれまでいちごの栽培について何も知らなかったので、正直今回の作業に対して最初は「地味な作業だな」、「もう少しいちごの栽培に直接関わるような作業をしたい」などと思っていました。しかし、こういった作業を1つ1つ行うことが、おいしいいちごを作る上でとても大切なことだと農家の方に教えていただき、自分も今回の作業を行ったことを誇りに思えた、そんなひと時でした。

洗浄液でコンテナごと洗う作業

苗植えに使う、ピン

鳥よけ用のネット

ネット張りの作業

全ての作業が終わった後、農家の方からこの農場で栽培してる「もういっこ」という品種のいちごを差し入れして頂きました。この「もういっこ」といういちごは、宮城県のオリジナル品種だそうで、サイズが大きく、果皮は鮮やかな紅色で、甘酸適和のスッキリとした甘さがとても美味しいいちごです。宮城県が長い間誇り続けるこのいちごは、本当に美味しく、是非宮城県以外の沢山の人たちにも食べてほしい、そう思えるいちごでした。

もういっこ

最後に…

そもそも、なぜ今回僕が東北でボランティアをしようと思ったかというと、それは自分がずっと憧れている人がバンドマンという本業の仕事の傍ら、ずっと東北(主に福島県)で震災の復興に向けてボランティア活動を行っていたからです。彼は普段から人思いな性格で、自分の音楽で人々に喜びを与えるでけでなく、この震災のように被害に遭った方たちを同じ人間としてより親身になって考え、寄り添う。そんな彼の姿をずっと追いかけていました。
そんな中、偶然にもアミイファクト株式会社のボランティア募集の記事を見つけました。最初はやはり、参加するのに少し抵抗はありました。「ちょっと恥ずかしいなぁ」とか「自分なんかが役に立てるのかなぁ」などと思いましたが、彼のような人間になりたいと思ったら、その先は迷うことなく、ボランティアへの参加を決意しました。
7年前、震災が起こってから、地震や津波の恐ろしさや、東北の深刻な状況はテレビや新聞などを通して知ることはできましたが、今回実際に現地へ足を運ぶことでしか知ることができないこともたくさんありました。人は困っているとき、苦しんでいるとき、やはり1番の救いは自分たち“人間“なんだなと思いました。自分が今回したことは、小さいことかもしれませんが、それでも少しでも誰かの役に立つことができたなら良かったです。そして、震災のことに限らず、今後もボランティア活動に積極的に参加していきたいと思います。

最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。
このレポートを読んで、「今までボランティアや人助けに参加してこなかったけど、少しでも何か役に立てることをしたい」、「自分もボランティアに参加してみよう」と思ってくれる人が少しでも増えてくれたら嬉しいです。