ある卒業生の思い

 

先日、昭和27(1952)年に本校を卒業された方たちのクラス会・同期会に招かれて出席してきました。みなさん、既に80歳を過ぎ、最年長の方は87歳と伺いました(私の父と同世代)。どなたも矍鑠としておられます。

 

この世代は日本が先の大戦に負けた当時、ちょうど十代中頃の育ち盛りにあたり、終戦後の厳しい食糧難を体験しておられます。食べたい盛りに食べる物がない、ひもじい思いをしながらも、新しい日本を自分たちが背負って立つんだという意気込みを持って、日中は働きながら夜学に通い勉強を続けたという経験を共有されています。だから、結束力が強いのでしょう。卒業以来、毎年クラス会を開催し続け、今回66回目になるそうです。すでに鬼籍に入られた方も多いそうですが、現在でもクラスの半数以上の方の住所を把握され、この日も同期の他クラスの方も含め10数名の方が出席されていました。

 

今回ゲストとしてお招きいただいた私のために、出席者お一人お一人から自己紹介を兼ねた近況報告をいただきました。学校卒業以来、職業人、社会人としてどのような経歴をたどって今に至っているのか、みなさん訥々と語って下さいましたが、驚くべきことは、多くの方が何らかの形で70歳近くまで働き社会と積極的に関わっておられることでした。

 

この日、ある方が現役の後輩たちに是非伝えたいと話して下さったことを最後に紹介します。

 

自分たちは生まれた時から戦争の時代だった。戦争は一部の政治家や軍部が始めたとは決めつけられない。あの時は国民全体が熱病にとりつかれたように戦争へと傾斜していった。そして、気がつけば東京は一面の焼け野原となり、すべてを失っての再スタートとなってしまった…。

 

「みんなが手を挙げるから…」と付和雷同して、その結果、自分に降りかかった災難は誰のせいにもできない。結局は手を挙げた自分の責任だ。惨めな思いをして欲しくないから、後輩のみなさんには、ぜひ自分の考えをしっかり持って、自分で判断できる人間になってもらいたい。

 

ご自身の人生を振り返った上でのアドバイスです。自分で考えて判断できるようになるためにはどうしたらよいのか。それこそ、ひとり一人がじっくり考えてみるべき課題でしょう。

五月病

 

大学生になる実感がわかなくてゆるいパーマをかけてみました

今春晴れて大学生となった『朝日歌壇』の常連、松田梨子さん。4月9日掲載のこの歌は、新しい生活を前にして期待と不安の入り交じった中途半端な気持ちを、「ゆるいパーマ」という言葉で表現していて面白味があります。

 

新入生にとって大学生活最初の戸惑いは、すべてが自己裁量・自己責任で物事を進めなくてはならないことではないでしょうか。高校までは自分の所属するクラスと座席が用意され、時間割も決まっていて、細々とした決まり事も担任の先生がていねいに教えてくれる、それが当たり前でした。ところが、大学生になった途端、ごく簡単な説明を受けただけで「あとは自分で決めて下さい」と言われるのですから、戸惑うのは当たり前です(私自身も覚えがあります)。最近は高校並みにホームルームや担任制度を設けている大学も多いと聞きますが、学生数の多い大学では、なかなかそこまでサービスできないのが実情でしょう。

 

日本では4月が新年度の始まりです。新入生、新社会人にとって4月は新しい環境への期待と不安で緊張の日々が続きます。そんな怒濤の一ヶ月が過ぎるころ、絶妙なタイミングでゴールデンウィークがやってきます。4月の頑張りをいやすための休日であるはずですが、ここに落とし穴があります。

 

新しい環境に適応しようと精一杯頑張ったけれど、GW中に精神的な疲れがどっと出て、休みが明けてからも何となく授業をサボる癖がつく(高校までと違って大学から「どうして休んでいるの?」という連絡が入ることもありません…)。ひどいとそのまま大学に行かなくなってしまい、留年→中退となるケースも少なくないようです。こうした症状(?)を、日本では昔から「五月病」と呼んでいました(もちろん正式な病名ではありません)。

 

先日、『大学1年生の歩き方』という本を読みました。「学生生活に失敗したくないけれど、キラキラ大学生(「リア充」と言われる人たちのこと?)になりたいワケでもない大学1年生」、「ぼっちが怖い、何をすればいいかわからない、一度失敗したらもう終わりだ…そんなふうに考えてしまう人」向けに書かれた、大学1年の12ヶ月を乗り切るための異色のガイドブックです。「出会いの4月」「通常運転の6月」「自由の8月」「恋愛の9月」「嫉妬の10月」「祭りの11月」…、各月のタイトルが大学1年生たちにとってどんなシチュエーションなのかを連想させるようになっていて面白いです。

 

もちろん、この本でも5月は「迷いの5月」として「五月病」が取り上げられています。ここでは、GW後のサボリ癖から「閉じこもり」に陥らないようにする方策として、自分の居場所を複数化しておくことがアドバイスされています。自宅や下宿(これは死語かな?)に閉じこもらずに、サークルの部室、挨拶できる人のいる教室、図書館や学食など、「居ても辛くないな」と思える場所がいくつかあると、「閉じこもり」に陥らないだけでなく視野や見聞を広めることにもつながり、学生生活が快適になると書いてありました。もう一つ、辛いこと、苦しいことがあったら、思い切って(友達でも家族でも誰でもいいから)周りの人に話してみることも良いとアドバイスしています。

 

この本は「失敗しても大丈夫、大学生活は何度でも仕切り直せる。絶対に何とかなる!!」というスタンスで一貫しています。つまり、「転ばない方法」ではなく「安全に転ぶ方法」を伝授する本です。

 

大学1年生に限らず、新環境になかなか馴染めずにいる人たちを楽な気持ちにさせてくれる、そんな一冊だと思います。

 

 

トミヤマ ユキコ・清田 隆之著『大学1年生の歩き方 先輩たちが教える転ばぬ先の12のステップ』(左右社 2017年4月刊)

シューベルトの『春に』

 

風薫る5月となりました。新緑を吹き抜ける風が実に爽やかな季節です。天気の良い日には外へ出て、思い切り清々しい空気を身体中に浴びたいと思わせる、素敵な時候です。

 

毎年この時期には春の歌を紹介していますが、今年はフランツ・シューベルト(1797年~1828年)の『春に』(D882)という歌曲を紹介しましょう。

 

詩はエルンスト・シュルツェ(1789年~1817年)という若くして亡くなった詩人のものです。奇しくも作曲家自身も31歳で亡くなっていますね。恋人と過ごした幸せな春の日々を思い出して歌うという内容です。

 

Im Frühling, D882 (春に)

 

春に

 

ピアノ前奏からシューベルト独特の優しく瑞々しい感性が全開し、この歌曲の世界観を提示しています。そういう意味でも、この曲はピアノパートが素晴らしいです。その伴奏にのせて、過ぎ去った美しい恋の記憶と別れの切なさを、どのように声で表現するかが歌い手の腕の見せ所でしょう。この原稿を書くために、名歌手たちの録音を聴き比べました。シュワルツコップの気品、アメリンクの可憐さ、フィッシャー・ディースカウの明晰さ、ホッターの滋味、いずれも甲乙つけがたい名唱ですが、私は現代の若いテノール歌手であるイアン・ボストリッジの若々しく繊細な歌声が、いちばん曲想にあうのではと思いました(2014年5月 ライブ録音)。

 

一度聴いたら忘れられない、ほんとうに美しい歌曲です。

 

明日から三連休。みなさん、素晴らしい休日をお過ごし下さい。

 

 

国谷裕子『キャスターという仕事』

 

23年間にわたってNHK総合の報道番組「クローズアップ現代」(以下:クロ現)のキャスターを務めた国谷裕子さんの著書『キャスターという仕事』を読みました。

 

ニュースキャスターは局のアナウンサーではありません。アナウンサーはニュース原稿を正確に読み伝えることが仕事ですが、キャスターはニュースの送り手(放送局)と受け手(視聴者)の間をつなぐパイプ役として、あくまで「話し言葉」で伝えることが仕事だと国谷さんは言います(因みにキャスターは和製英語 アメリカではアンカーと言う)。

 

帰国子女で、海外で長く教育を受け、日本語に対してコンプレックスを持っていた国谷さんが、クロ現のキャスターとなってこだわったのが「言葉の持つ力を大事にすること」でした。言葉によって画面に映し出される映像の持つ意味や、映像の背景にあるものを明らかにさせること。そのために国谷さんは「想像力」「常に全体から俯瞰する力」「ものごとの後ろに隠れている事実を洞察する力」を大切にしながら、日々番組を伝え続けたそうです。

 

23年間で計3784本も制作されたクロ現は、話題性のあるテーマを掘り起こし多面的な見方・考え方を視聴者に提供し続けました。本書では多くのスタッフが関わりながら、30分弱の番組が出来上がるまでの舞台裏を紹介しています。番組冒頭に置かれた1分半~2分程度の「前説(まえせつ)」原稿は、テーマの趣旨を視聴者にわかりやすく伝えるため、国谷さんが時間をかけて自分の言葉で書き上げてきたそうです。また、ゲストの深い思いに肉薄し正確な答えを引き出すための、インタビュアーとしての工夫と苦労を綴った話にも大変興味深いものがあります。孤高の映画スター高倉健さんへのインタビューで、高倉さんの答えを待って17秒間も沈黙が続いたというエピソードは圧巻です。

 

そして、国谷さんはテレビ報道の持つ危うさを次の三つにまとめています。

 

「事実の豊かさを、そぎ落としてしまう」という危うさ

「視聴者に感情の共有化、一体化を促してしまう」という危うさ

「視聴者の情緒や人々の風向きに、テレビの側が寄り添ってしまう」という危うさ

 

シンプルでわかりやすい表現を多用することで、視聴者の感情を一体化させると同時に、視聴者の感情に寄り添ってしまうテレビの危険性を指摘するこの言葉は、非常に重たいものがあります。

 

2016年3月、番組改編を機に国谷さんはクロ現キャスターを降りました。番組は今春の改編でNHK報道のエース、武田真一アナウンサーをキャスターに、「クローズアップ現代+(プラス)」として放送中です。

 

国谷 裕子著『キャスターという仕事』(岩波新書 2017年1月刊)

論争「読書は必要か?」

 

3月に朝日新聞「声」欄に掲載された大学生の投稿がきっかけとなり、同欄には短期間に100通以上の反響が寄せられ、読書の必要性や紙の「本」という媒体をめぐる熱い論争(別に闘ってはいませんが)が繰り広げられています。昨日の読書欄でも採り上げられ、歌人の穂村弘さんが読書の持つ意味について書かれています。

 

そもそもは「大学生の読書時間『0分』が5割に」(全国大学生協連16年調べ)という記事が発端となっています。最初の投稿者である男子大学生(21歳)は「読書が生きる上での糧となると感じたことはない。読書は楽器やスポーツと同じように趣味の範囲であって、読んでも読まなくても構わないのではないか。なぜ問題視されるのか…」と述べています。

 

これに対して、幅広い年代の読者からさまざまな意見が寄せられました。「時間をかけてまで読書する必要なし。読書を押しつけないで」と女子中学生。「いかにたくさんの人と出会うかが読書」という60代男性。「本はメリットを考えて読むものではない。嫌いなら無理する必要はない」とちょっと突き放した言い方の50代女性。また「あなたのお便りこそが本の原点」と大学生に語りかける70代男性。さらに、読書を紙媒体の本と限定することが時代の趨勢からずれているのでは、といったネット、スマホ時代の新しい読書のあり方を提議するご意見もあり、まさに百花斉放状態。「読書は何のために?」というテーマは、日ごろ新聞に目を通している活字中毒者にとって、とても重要な話題であるようです(本当に読書しない人はそもそも新聞など見ることはないのかも…)。

 

中高時代に読んだ唯一の本は『坊っちゃん』一冊きり、と言っていたクラスメートがいました。本は読まないが国語は素晴らしく良くできて、難関大学に現役進学し超一流企業に勤め、今やそのトップとなっています。人間的にも素晴らしい私の親友の一人です。彼を見ていると、確かに読書しなくても、生きていく上で何ら支障がないというのはその通りかもしれないと思います。(ただし、社会人になってからも、彼が読書を一切してこなかったかどうかは不明ですが…)

 

でも、読書も楽器やスポーツと同じように「趣味の範囲」なのかと言われると、私にはちょっとためらいがあります。履歴書の「趣味・特技」欄に読書と書き込むのは何だか違うようにずっと思っていました。余暇の楽しみというよりも、ちょっと気障な言い方ですが、私にとっては、もう少し根源的な精神的営みのような気がしています。それ以上言葉で説明するのは難しいのですが、きっと、人としての生き方やあり方と深い関係があるように思っています。なぜなら、これまでの人生で判断に迷ったり悩んだり苦しんだりした時に、本を通じて決心したり慰められたり勇気づけられたことがたびたびあるのですから。

 

さて、あなたにとって読書はどんな意味がありますか?

満開の桜のもと、入学式を挙行

 

新年度が始まりました。今年度もどうぞよろしくお願いします。

 

4月7日(金)、平成29年度入学式を挙行し、中高あわせて455名の新入生を迎えることができました。

 

満開の桜の下を、真新しい制服に身を包んだ新入生が登校してきました。校門の桜や入学式の看板をバックに記念撮影される親子で行列ができ、気を利かせた教員や生徒会の役員たちがカメラを預かってシャッターを押していました。

 

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今年の式辞では、失敗することの大切さについて話をしました。

 

人間にとって失敗や錯誤はつきもの。だから、どれだけ失敗の数を減らせるか、失敗をどう立て直すかが重要だ。失敗しないためには失敗の経験を積んでおくことが必要であり、学校は失敗の経験を積む場でもある。失敗を他人や環境のせいにせず、潔く認めて素直に謝り、失敗にうまく対処できるようになることが大切である。たくさん失敗の経験を積むことで、自分で問題点を見つけ自分で解決方法を見つけて実行できる、「主体性」ある人間になって欲しい。

 

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いろいろな意味で余裕がなくなってきている現代社会では、本来なら若者の特権であった失敗も許容しにくくなってきているようです。そのことを若者自身が敏感に感じているから、あえてリスクをとってチャレンジしようという意欲も減退するのは当然かもしれません。でも、そんな消極的なことで、活力ある未来を構築できるのかと心配にもなります。

 

人生における“疾風怒濤”の中高生時代は、少し無謀であっても失敗を恐れずにいろいろなことにチャレンジすべきです。新入生の活躍を大いに期待したいと思います。

 

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受験が終わって…

 

月曜の朝刊紙面、俳句の投稿欄を見ていたら、こんな句が目に入りました(「朝日新聞」3月27日朝刊 朝日俳壇)。

 

如月や僕の運命決まるとき            (東京都)田中 力翔さん

 

評者(長谷川櫂さん)によると、作者は15歳とのこと。つまり、高校受験生が入試という大きな関門を前に、緊張する心情を詠んだ一句でしょう。運命の女神は果たして作者に微笑んでくれたのか…、ぜひそうであって欲しいと思います。

 

受験シーズンの朝、緊張した面持ちの受験生を駅のホームや電車の中で見かけると、思わず「頑張って!」と声をかけたくなります。本校の入試では生徒補助員が受験生の誘導案内などを手伝ってくれますが、彼らも自分が受験生だった時を思い出すのか、受験生にはとても親切丁寧に接してくれています。きっと心の中で受験生に声援を送っているはずです。受験生は入試という運命に、たった一人で立ち向かっているという思いが強いかもしれません。しかし、実際は家族や先生、友達をはじめ多くの人々の直接的、間接的な支えがあるのです。もちろん、運命の扉を開けるのは受験生本人の力ですが、その出力量は応援団の声援量にも左右される気がします。

 

そう言えば、同じ評者は田中さんの句と並んで、こんな一句も採り上げています。

 

大試験母にも長き一と日かな           (神戸市)涌羅 由美さん

「たいへんなのは受験生だけではないと記憶せよ」とは評者の言葉です。(なお、この句は3人の選者に採用されています)

 

入試が終わり卒業式もすんで進学先の入学式を前に、のんびりした時間を過ごしている新入生のみなさん。みなさんの運命の扉を一緒に押し開いてくれた、多くの人たちへの感謝の気持ちも忘れずに、新学期を迎えてください。

 

開花宣言が出たとはいうものの、このところの寒の戻りで小金井キャンパスの桜はまだまだ小さなつぼみです。昨年同様、桜に因んだ百人一首をそえて、今年度最後のブログの筆を置きます。

 

高砂の 尾の上の桜 咲きにけり

外山の霞 立たずもあらなむ (権中納言匡房)

 

 

4月からもどうぞよろしく。

 

 

校庭のソメイヨシノ

校庭のソメイヨシノ

 

わからないことが大切! ~ TDU 4D-Lab発表会 ~

 

今年から始まった学年横断(中2~高1)型探求学習、TDU 4D-Labの1年間の活動を締めくくる、中学3年生による発表会が3月16日に開催されました。全部で38のLab(ラボ=研究グループ)の中から選ばれた10のLabが自分たちの1年間の研究成果を発表し、評価者(※)と会場内の生徒たちからの質問に答えました。

 

発表した10のLabは以下の通りです(発表順)。

① ラーメンLab

② 麹菌の働きLab

③ 土地の高低差から歴史を考えるLab

④ 日本とアメリカを知ろうLab

⑤ 歩くLab

⑥ 高校生クイズLab

⑦ TDU広報室Lab

⑧ 日本庭園のしくみLab

⑨ 糸の可能性Lab

⑩ 災害レンジャーLab

 

いずれも実験や観察、フィールドワークやアンケート調査など、自分たちの課題を解決するのにふさわしい手法に基づいた調査が行われていること、発表も動画を入れたり実演して見せたりなど工夫があって、どれも面白く興味深い研究発表だったと思います。

 

なかでも、浅草に出かけてアメリカからの観光客に突撃インタビューを試みた④、自分たちの理想とする「歩き方」を実証した⑤、巧みなプレゼンテーションで編み物の楽しさを伝えた⑨、問題意識をしっかり持って校内の防災設備に対する独自の提案をした⑩は、評価者から高い評価を得ることができました。また、評価者のうち大学の先生方からは、生徒たちから積極的かつ適切な質問や意見が出ていたことを褒めていただきました(大学生たちの卒業研究発表会などでは、フロアの学生から質問が出ることはほとんどないそうです…)。

 

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しかし、課題設定の妥当性、仮説の立て方や検証方法の有効性や集めたデータの分析方法など、探求学習を続ける上での課題も見つかった発表会だったようにも思います。4D-Labの特徴は、探求のサイクルが一周で終わるのではなく、今年の活動の結果を受けて、さらに来年度も引き続き研究を継続して深められる点にあります。探求のサイクルをもう一周回すことで内容も手法も深まり、さらに新しい課題が見つかることを期待したいと思います。こうした探求学習では、「わかったこと」より「わからなかったこと」をどのように次の問いや課題に立てるか、それが大切なポイントとなります。

 

なお、10のLabのうち④と⑤が最優秀賞となり、18日の中学校卒業証書授与式後に、あらためて在校生、来賓、保護者のみなさんの前で研究発表を行いました。全Labの代表にふさわしい立派な発表だったことを付け加えておきましょう。

 

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※当日の発表会の評価者(敬称略) みなさん、お忙しい中ありがとうございました。

 

雑賀  高(本校PTA顧問 工学院大学教授)

三井 和幸(東京電機大学教授)

松原 和之(コアネット教育総合研究所所長)

平川 吉治(高校教頭)

古城  仁(中学教頭)

大久保 靖(校長)

 

 

永久欠番  作詞・作曲 中島みゆき
 

歌詞は著作利用の許諾を得ていないため掲載しておりません。

 

佐藤敏郎先生の「震災直後の授業」から学ぶ
東日本大震災から明日で6年です。少しずつ復興は進んでいるものの、いまだ12万3千人(復興庁発表 平成29年2月13日現在)の方たちが避難生活を強いられています。あのような経験は被災した方たちの心から簡単に消えるものではなく、本当の意味での復興にはまだまだ終わりは見えていません。そんな中、女川第一中学校の国語の先生をされていた佐藤敏郎先生より「震災直後の授業から学ぶ」と題した講演を聴く機会を得ました。佐藤先生はご自身も大川小学校6年生だった次女みずほさん(当時12歳)を亡くされた遺族でもあります。3・11を無駄にしない、3・11からの日々を無駄にしたくないという思いで命の尊さや防災教育の大切さを全国でお話されています。

講演は震災時のお話から1ヶ月後の新学期の話になりました。あの大震災の直後、町は壊滅状態にもかかわらず新学期は例年通りの日程で始まることに決まったそうです。全国から善意でたくさんの文房具や学用品などが贈られ、国語の教科書の配布も間に合ったそうです。しかし、佐藤先生は内心「教科書は間に合わないでほしい」と思っていたそうです。先生が担当されていた中学3年生の国語の教科書の最初の教材は、上にある中島みゆきの「永久欠番」だと知っていたからです。

講演の中で先生は、私たち参加者に「震災直後の新学期、先生方だったらこの教材を使ってどのような授業をされますか。」と尋ねられました。しばらくの間ひとりで考えた後、まわりの参加者と意見交換をしました。目の前にいる中学生を思い浮かべ、教壇に立っている自分の姿を想像してみましたが、何をどのように話すべきか一向に考えはまとまりませんでした。中高生のみなさんも少しだけ考えてみてください。(詳しくは、ホームページ『「被災地の“放課後学校”コラボスクール」【被災地の教育現場 vol.13】新学期は中島みゆきから』を読んでください)

 

私たちにできること

最近、朝日新聞に「17歳あれから 東日本大震災6年」という記事が掲載されました。みなさんの中にも読んだ人がいるでしょう。私たちは今後どのように震災と関わっていけばよいのでしょうか。私たちには何ができるのでしょうか。何をすべきなのでしょうか。震災を経験した高校生の記事を読んでいると、その答えが少しですが見えてくるように思います。

 

岩手県宮古市で、海にいた父親を案じ続けた長尾佑梨絵さん(17)。翌年、盛岡市の市立中学に進んだ。内陸へ車で2時間ほど。父親を宮古に残して、母親と2人で引っ越した。1年生のある日、授業中に大きめの地震があった。すぐに全員が机の下にもぐった。揺れが収まると「3・11」の話題に移る。

「盛岡で電気も水道も止まって大変だった」「給水車まで水汲みに行ったんだよね」みな怖さと大変さを比べ合う。自分も口を開いた。「すっごい揺れて、防災無線が鳴って、おばあちゃんも死んじゃった」全員がシーンとなった。あれっ?

仮設住宅でまだ暮らしている人がいるし、復興なんてしてない。続けようとしたところで、気づいた。わたし、空気読めてない。(何、ガチで話してんだよ)(沿岸ぶってる)そう思われてる?ふだんのキャラじゃないって? 津波が来なかった盛岡では、宮古にあった「支援ありがとう」の看板や、「がんばっぺす」のTシャツの人も見なくなった。

(朝日新聞 2月28日 朝刊)

(震災のこと、学校で話しにくい。そう思ってきた盛岡市の長尾佑梨絵さん(17)は、核兵器廃絶を求める署名活動を始めた。ネットニュースで同じ年の子が国連でスピーチをするのを見て、興味を持った。)

去年の8月、長崎原爆資料館に行った。爆心地周辺の写真を見た瞬間、リンクした。うわ、これ分かる。岩手県宮古市の5年半前の風景。電柱がなぎ倒され、建物の壁やガラスも突き破られていた。普段見えない場所まで、街が見渡せる。カラスが遺体らしきものをつついていた。長崎では、肉親3人が原爆の犠牲になった女性に会った。自分も津波で祖母を失った。町も家族も、大事なものが一瞬で消えてしまうのは同じ。そんな経験を誰かにさせたくない。

その後、スイスの国連欧州本部に署名を届け、英語で国連職員にこう呼びかけた。「命の尊さについて、自分の声で世界に伝えていきたい」盛岡の友だちにも、できたら話してみたい。

(朝日新聞 3月1日 朝刊)

 

 

春休みのイベントいくつか

1.科学技術とベンチャービジネス

【開催日】平成29年3月28日(火) 14:00~16:00

【場 所】東京農工大学小金井キャンパスグリーンホール

【内 容】「宇宙天気予報」「なぜNICT研究者が起業したのか」「ベンチャーという選択肢」

 

2.「マイプロジェクトアワード2016」(認定NPO法人カタリバ主催)

高校生によるプロジェクト学習の全国大会です。全国の高校生がどのようなプロジェクト学習を行っているかを生で見られる絶好の機会です。来年度の4D-Labにおける研究のヒントが得られるかもしれません。

【開催日】3月24日(金)~26日(日)

【開催場所】京都造形芸術大学・東北芸術工科大学 外苑キャンパス(@青山一丁目)

【詳細】www.goo.gl/a9Zj25

【申込(先着順)】http://bit.ly/2kaTww8

難民問題を考える ~映画『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』~

 

トランプ米国大統領が就任早々出した大統領令を待つまでもなく、移民難民問題は世界の最重要課題の一つでしょう。今日も世界各地の政情不安地域から、多くの人々が自由と安全を求めて逃避行を続けているはずです。日本でも1970年代末にはインドシナ各地からのボートピープルを難民として受け入れていた時期がありましたが、現在の難民出身国が主に中東やアフリカであるためか、私たちにとってこの問題は遠い国の話にしか感じられないのが実情かも知れません。しかし、実際には2015年日本政府に新たに難民認定申請した人数は7586人で、そのうち認定されたのは、わずかに27人だそうです(2016年1月23日 法務省入国管理局プレスリリースより)。

 

中東やアフリカ各地からヨーロッパをめざす難民ルートの一つに、北アフリカの地中海沿岸からイタリア半島に向かうルートがあります。地中海をすし詰め状態の老朽船で渡るのですから陸路より危険度は高いかもしれません。イタリア最南端に位置する人口5500人のランペドゥーサ島は、そうした難民たちを受け入れる最前線です。1年半にわたってこの島に住み、島民と難民の交錯を記録したジャンフランコ・ロージ監督のドキュメンタリー映画『海は燃えている』を観てきました。

 

島民と難民の交錯とは書いたものの、実際には難民は海上で保護されてそのまま島内の施設に収容されてしまうので、両者がふれあう場面はありません。映画は島民の日常生活と、海上での救助活動や収容施設での難民の様子を交互に映し出します。狂言回しの一人に手作りのパチンコで鳥撃ちに夢中な12歳になるサムエレという少年が登場します。彼らの日常生活のどこにも難民の姿を感じさせるものはありません。ひたすら穏やかで静謐な島の暮らしが描き出されます。しかしその一方で、島の沖合では沈没寸前のオンボロ船で死と隣り合わせの難民がいるのです。運良く救助された難民たちの、安堵とはほど遠い茫然自失とした表情をカメラは容赦なく記録しています(こんなに疲労感と悲愴感に刻まれた人間の顔を私は見たことがありません…)。平穏さと苛烈さが同時に存在するランペドゥーサ島。極端に異なる二つの世界を、ナレーションやテロップといった“言葉”という便利な道具を一切使用せずに、映像のみで表現するロージ監督の感性と編集力に唸らされます。

 

難民と直接ふれあう唯一の島民であるバルトロ医師が、難民たちの悲惨な状況を記録した画像を見ながら「こうした人々を救うのはすべての人間の務めだ」と語るシーンがあります。直接ふれあう機会はないが、海の向こうからやって来る難民たちをやっかいな存在としてではなく、同じ海、同じ世界に生きる者同士として静かに受け入れようという島民の思いは映像の端々から感じられました。

 

映画のラスト近く、夜明け前の薄暗い中、いつもパチンコで鳥撃ちしている茂みにやってきたサムエレ少年。木の枝でさえずる1羽の鳥を見つけると、パチンコではなく、鳴き真似で鳥とあたかも会話を始めるシーンがたいへん意味深長です。

 

ランペドゥーサ島のある地中海は、国境という人為的な境界が生まれる17世紀の主権国家体制成立の遙か前から、フェニキア人、ギリシア人、ゲルマン人そしてイスラームといった、種々雑多な民族・集団が往来して、文化、宗教、言語などさまざまな交流の舞台となった世界です。そうした歴史的背景も想起すれば、現在の移民難民問題にも違った観点で解決策を考えることができるかもしれません…。

 

(ジャンフランコ・ロージ監督作品 渋谷Bunkamuraル・シネマで公開中)