「啐啄の機」 No.6(2021年10月1日)

2021.10.01

2021.10.1

巨人の肩の上に立つ

朝、校門の前で生徒たちの登校を迎えていると、ときどき車道を隔てた向かいの歩道を、近隣の保育園の園児たちが手をつないで朝のお散歩に出かけていくのを目にします。おそらく保育園の先生方も、園児たちが飽きないようにと毎日のお散歩コースを変えているのでしょうか、通り過ぎていく園児たちはもの珍しそうに周囲の風景にきょろきょろと目をやりながら、かわいらしい歩みを進めていきます。そんな様子がほほえましく、たまにそうした園児と目が合ったりすると、こちらもついにっこりと手を振ったりしてしまいます。そして、そんな私の様子を怪訝な顔で横目に見ながら、生徒たちは校門をくぐっていきます。

それにしても、子どもの好奇心というはとても旺盛なものだと感じます。我々がふだん見慣れている風景でも、初めてそれを見る子どもたちにとっては不思議な世界に映るのでしょう。幼い子どもは、道端に転がった石ころを、飽きもせずにじっと見つめていたりもします。そして、そんな旺盛な好奇心を大人になっても持ち続けている人が、世紀の大発見をするのかもしれません。万有引力の法則を発見したアイザック・ニュートンなどは、どんな気持ちでリンゴの実の落ちるのを見ていたのでしょうか。

ニュートンといえば、彼はその書簡の中で「私が彼方を見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に立っていたからだ」と述べています。つまり、学問というのは先人の積み重ねた業績の上に、さらに新たな発見を築き上げていくことだというのでしょう。それはあたかも巨人のからだによじ登って、はるか遠くに何が見えるのかと目を凝らして見つめているようなものだというのです。それはまさに好奇心のなせる業だといえるかもしれません。

先週末、大学の先生から本校の高校生を対象に「大学受験に向けての心構え」を話してもらう機会がありました。大学がどういう学生を望んでいるのか、またそれに向けてどのような準備が必要かといったことを、たいへん丁寧に分かりやすく伝えていただき、生徒たちも熱心に聞き入っていました。

そのときのお話の中で、その先生が特に強調されていたことが、とても印象に残っています。それは、「大学での研究に必要なのは、熱意と決意である」という言葉です。たしかに「熱意と決意」は、巨人の肩によじ登るために必要なものではないかと思います。未知の世界に対する好奇心(熱意)と、目の前の巨人に挑んでゆく覚悟(決意)がなければ、とてもその肩の上から彼方を眺めることなどできません。講話を聴いていた高校生たちも、きっと自分の心の中にある好奇心を見つめ直し、大学受験に挑む覚悟を新たにしてくれたものと思っています。

中高での学びというのは、学問の世界でいうなら、その入り口から中を覗いた程度のものかもしれません。きっとそれは巨人の膝丈にも及ばないものでしょう。けれども、その先には必ず未知なる世界が拓けており、それは熱意と決意を持って学び続けた人にしか見ることのできない世界です。本校の生徒たちには、心の中に抱えた旺盛な好奇心と学問の世界に飛び込む覚悟をもって、これからも学び続けてほしいと思っています。

中学生の持っている「実験BOX」
好奇心の詰まった宝箱です