「校長ブログ」 No.177(2020年2月6日)

2020.02.06

『図書室』

頁数にして100枚ほどの短編ですが、読後に何ともいえない懐かしさと人生への肯定感を感じさせてくれる、素敵な小説を読みました。 

主人公は50歳になる独身(一緒に暮らしていた男性と別れてかれこれ10年)女性の美穂。いまは古い公団住宅でひとり暮らし。単調だがそれなりに平和で平穏な日々を過ごしている彼女が、最近よく思い出すのは、優しい母とたくさんの猫に囲まれて過ごしていた幼い頃の日々。スナック勤めで夜の遅い母のことを思いやって、半ドン(懐かしい言葉!)の午後は近くの公民館の図書室に通い、大好きな『あしながおじさん』を読んで過ごす。

ふだんはお年寄りくらいしかいない図書室で、ある日出会った同学年だが違う小学校に通う男の子と話を交わすようになる。彼の読書傾向は宇宙や恐竜や昆虫や怪談といった本ばかりで美穂には興味はなかったけれど、クリスマスも近いある日、彼が「太陽って、いつか爆発するねんで」と話してたことから、人類滅亡後にどうやって二人で生き残っていくかを真剣に考え始める。そして、なにかとせわしない空気の漂う大晦日に、二人は生き残りのためにある行動を起こす…。

美穂と少年との大阪弁によるテンポの良い会話は、読者に物語の中で進行する時間と空間を追体験させるような効果があります。大阪人同士の会話はすべてボケとツッコミからなると聞いたことがありますが、二人の会話もまさに漫才。そこが、この小説を読むポイントの一つだと思います。

裕福とは言えないがそれなりに幸福であり、いまから思えばあれが初恋だったかもしれない男の子との小さな冒険を追想している50歳の美穂も、それなりの充足感を持って日々を過ごしています。もちろん、悲しいことや嫌なこと、苦しい思い出もそれ相応に重ねてきてはいるが、プラスとマイナスを相殺すれば、わずかばかりの黒字の人生と思えればそれで良しと考えて。

美穂と同様に、私も人生の後半に入ってから小さかった頃のことを思い出すことが多くなりました。それも、何でもない日常の断片のような出来事をふと思い出します。(最近夢の中でよく見るのは、暑い夏の昼下がりに、母が作ってくれた甘く冷たい砂糖水に浸かった白玉団子のおやつ。夢なのに口中にその甘さが広がり…)あの頃、毎日一緒に遊んでいたあの子は、いま、どこで、どうしているのだろう。懐かしい顔とともに思い起こされるのです。

(ところで、誰かこの小説を映画化してくれないだろうか…)

岸政彦『図書室』新潮社2019年6月刊