「校長ブログ」 No.199(2021年3月24日)

2021.03.24

『細雪』

今年度はブログの更新が滞りがちになってしまいました。新型コロナ感染症関連の対応に時間を取られ、ブログまで手が回らなかったのが実情ですが、このブログでは学校での出来事よりも、私が日々の生活の中で見たり、聴いたり、読んだり、感じたりしたことを書かせてもらっていたので、コロナ禍の自粛生活でそういう機会が少なくなったというのも理由の一つです。

でも、まったくどこにも行かなかったわけではないし、本を読まなかったわけでもありません。むしろ、2020年は例年より読書量は多く、みなさんに紹介したい面白い本もずいぶん読みましたが、新型コロナで大変な状況下で、呑気に「面白かった!」と書くのも少々気がひけてしまい…。

二ヶ月半に及ぶ緊急事態宣言も解除されたので、久しぶりに最近読んだ本を紹介しましょう。

というわけで、今回はなんと、近代日本文学の傑作、谷崎潤一郎の『細雪』です。

高校生のころ、谷崎を集中的に読んでいた時期があり、もちろん代表作である『細雪』も手にしたのですが、上巻の途中でどうにも飽きてしまい、有名な大水害の場面にたどり着くことなく断念してしまいました。その後も、何度かチャレンジしましたが、いつも同じような箇所でギブアップ。どこが面白いのか、どうしてこれが谷崎の代表作なのか、若い自分には全然理解できませんでした。

ところが、必要があって、久しぶりに書棚から分厚い中公文庫版『細雪』(900頁超 厚さ4㎝!)を取り出して読み出したら、不思議なことにスラスラと心地よく頭に入っていくではありませんか。気づけば1時間以上も集中して読みふけってしまいました。長い読書生活でも滅多にない経験でした。

時代は昭和11年から16年にかけて、大阪船場の旧家、蒔岡家には上から順に鶴子、幸子、雪子、妙子と四人の娘がいる。次女の幸子とその婿である貞之助の芦屋(高級住宅地!)の家には、本家である長女鶴子の夫とそりの合わない三女の雪子と四女の妙子が居候している。

幸子夫妻は美人だが縁遠い雪子の縁談をまとめようと苦労するが、無口で控えめな雪子の気に入る相手がなかなか現れないまま年月が過ぎる。一方、末妹の妙子は非常に自立心が強く活発な性格で、恋愛にも積極的だが駆け落ち騒動や二股交際など次々事件を起こしては幸子たちをハラハラさせる。

雪子のお見合い(5回)を軸にしつつ、花見、蛍狩り、月見、観劇、外国人の隣人との交流といった姉妹の豊かな生活を彩るエピソードが織り込まれ、当時の阪神間の上流階級の風俗が丹念に描かれます。一方では、鶴子一家の東京転勤、大水害、幸子の流産、妙子と恋人たちを巡るトラブル等々の事件もあって、最後に、35歳になった雪子と華族出の男性との縁談がやっとまとまり、雪子が結婚式のために上京するところで物語は終わります。

では、若いころには気づかなかった『細雪』の面白さとは何か?

今回、通読して感じたのは、谷崎の独特な文体の素晴らしさです。異様にワンセンテンスが長い(一文が1頁の半分くらいになるのはざらです)のですが、それが少しも読みにくくはないのです。ふつう、読点でつなげすぎるのは悪文の見本のように言われますが、谷崎の文章に限っては流れるようなリズムで不自然さがなく、あたかも登場人物の心の動きを的確に表現するための必然のように思わせます。高校生の私の読解力ではそれを理解できなかったのでしょう。

もう一つは、登場人物たちの語る大阪弁、それも我々がイメージする庶民的な大阪弁ではなく、おっとりとした船場言葉です。谷崎の息の長い文章の間に挟まれた、四姉妹の話す上品な船場言葉が大層耳に心地よく響きます。ぶっきらぼうな東京言葉にはない、柔らかくまろやかな表現が素晴らしい。

三つめは、昭和戦前の関西それも阪神間のブルジョワたちの、モダンで上品な生活様式がふんだんに描かれているところです。幸子たちの日常生活は現在の感覚からしても驚くほど豊かです。生活にゆとりがあるのです。もちろんそれは当時のごく限られた上流階級(幸子の夫は大阪の事務所に勤める計理士)の過ごし方であり、貧しい庶民のそれとは比べようもないのですが、収入の多寡とは別に、現代人の我々と比べても、日々の生活のあり方に時間と空間と心の余裕があると感じさせるのです。

『細雪』は昭和18年に中央公論誌上で連載が始まりましたが、当局から時局(すでに米国との戦争が始まっていました)にふさわしくないと横やりが入って休載となります。そういう「非常時」でありながら、自分の芸術的信念は曲げず、戦争の影や軍人の存在を感じさせない、優雅でたおやかな王朝絵巻物風の大長編小説を書き続けた谷崎潤一郎のタフな精神は、たいしたものだと思います。

『細雪』は、やはり谷崎の代表作にして傑作です。

(テーマが『細雪』なだけに、ブログもかなり長文になってしまいました…)