「校長ブログ」 No.183(2020年5月9日)

2020.05.09

感染症とどう向き合うか

緊急事態宣言延長にともない、今月末まで休校期間を延長することとなりました。3月初めから3か月間も学校に登校できない状態が続くことになります。学校ばかりではなく企業や商店でも休業、在宅勤務、自宅待機が続いています。感染拡大を防止し医療機関への負担を軽減させるためには、不要不急な外出をできるだけ減らして自宅で過ごすことが求められています。自粛生活の長期化で、心身ともに疲労が蓄積されていると思います。みなさんの体調に変化はありませんか?

しかし、その反面、自宅で過ごす時間が増えたことで、今までできなかったことに取り組める時間が増えたこともまた事実です。私も数年前に衝動買いしてそのままにしていたプラモデル作りに取りかかりました。20数年ぶりのプラモ作り、昔と違って格段に目が悪くなっているので細かい部品をうまく扱えず、でき映えもイマイチでしたが、やっぱり完成した時はうれしかったです…。

もちろん、ふだんより本を読む時間も増えました。感染症とどうつきあうか、そんな意識を持って読んだのが、いま話題になっているフランスのノーベル賞作家、アルベール・カミュ(1913年~1960年)の『ペスト』(1947年出版)です。

フランス領アルジェリアの港市オランで発生したペストにより、外界から完全に隔離された市民たちの苦境と恐ろしい疫病に立ち向かう姿を描いた物語です。カミュの作品は不条理文学と呼ばれています。不条理とは、不合理なこと、理不尽なこと、絶望的な状況を指す哲学用語です。人間にとって不条理な状況とは、今回の感染症も含めた病気、地震や台風などの自然災害や事故・事件、もちろん戦争やテロといった、我々の日常の生活を一瞬にして変動させてしまう出来事や現象です。ペスト菌に襲われ外部の世界から遮断されたオランの市民たちの状態を、カミュは「追放」とか「自宅への流刑」といった言い方をしています。自宅待機を余儀なくされているみなさんも、「自宅への流刑」という表現には納得されるかもしれません。

『ペスト』には多数の登場人物が出てきます。主人公格の医師リウー、異郷者でリウーの友人となるタルー、イエズス会の神父パヌルー、新聞記者のランベール、役人のグラン、犯罪者のコタール…。彼らが不条理な状況下で、どのように行動変容を遂げていくか、そこが読みどころの一つです。

ペスト流行の初期においては、市民たちは自分たちの置かれた状況を理解できず、思いがけず与えられた特別休暇を楽しむ余裕を表面的には見せますが、事態が長期化し感染者と死者が急増するにつれ、市民たちには停滞という無感情が現れてきます。不安や怒りや闘争という意識が薄れ現状を追認していくのです。

市民たちは事の成行きに甘んじて歩調を合わせ、世間の言葉を借りれば、みすから適応していったのであるが、それというのも、そのほかにやりようがなかったからである。彼らはまだ当然のことながら、不幸と苦痛との態度をとっていたが、しかしその痛みはもう感じていなかった。(中略)まさにそれが不幸というものであり、そして絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪いのである。(268) 


物語の終盤、リウーとタルーが人目を避けてこっそり海岸に出て、月明かりの下で海水浴する場面があります。不条理な状況下にあっても理性的で感情的であろうとする二つの魂の交感を描いていて、非常に印象的です。
 

ペスト流行が終息し、街が開放されたことを喜ぶ人々の姿を横目に、この物語の語り手であることを明かしたリウーを通じて、カミュは物語の最後を次のように締めくくります。
 

事実、市中から立ち上る喜悦の叫びに耳を傾けながら、リウーはこの喜悦が常に脅やかされていることを思い出していた。なぜなら、彼はこの歓喜する群衆の知らないでいることを知っており、そして書物のなかに読まれうることを知っていたからである___ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反故のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。(458頁)
 

今回の感染症流行とどう向き合うか、不条理な状況をどう生きるべきか、読者一人一人にさまざまな視座を与えてくれると思います。ちょっと難しいかもしれませんが、こういう時だからこそ、じっくりと時間をかけて読むに値する傑作です。

※引用箇所の頁は以下のテキストによる

カミュ著・宮崎嶺雄訳『ペスト』(新潮文庫)