「校長ブログ」 No.170(2019年10月7日)

2019.10.07

『綾峰音楽堂殺人事件』

音楽を枕に、文化行政や公共施設のあり方や、一部の人間に煽られた「民意」の問題点など、読者に様々な視点を提供してくれる、そんなミステリー小説を読みました。藤谷治さんの『綾峰音楽堂殺人事件』です。

音楽評論家として著名な英文学教授・討木穣太郎は、綾峰県立音楽堂を活動拠点とする綾峰フィルの顧問としてたびたび綾峰県を訪れていたが、ある日この音楽堂の取り壊しと綾峰フィルの解散を告げられる。釈然としない思いのまま迎えた音楽堂の最終公演の日、音楽堂で殺人事件が起きた。殺されたのは、音楽堂の取り壊しを引導した男だった—。(ポプラ社ホームページより)

殺人事件を解決する探偵役の討木穣太郎と、彼の友人であり事件を小説の形で報告する役割を担う小説家フジツボ・ムサオなる二人(ホームズとワトソンの関係に似ています)が主人公のように見えますが、実際は狂言回しといったところでしょう。殺人の謎解きそのものより、なぜ人が殺されなければならなかったのかという背景にこそ、このミステリーの持つ重層的な面白さがあります。その意味で、本当の主人公は、殺された地元名士の御曹司にして綾峰では絶大な人気を誇っていたラジオパーソナリティの吉見佑哉かもしれません。

事件の根底には、人口減少が続き財政に余裕のなくなった地方都市にとって、その地の文化・芸術の拠点である老朽化した公共音楽ホールや、一部の愛好家のものと言えなくもないオーケストラのために、貴重な税金を使用することは許されるのか、という文化行政や芸術活動に対する公的支援のあり方にあります。税収が右肩上がりで増えてお金を湯水の如く使えていた時代は過ぎ去り、厳しい財政状況の中、どのように優先順位をつけて税金を使うべきか、それは全国の地方都市にとって共通の悩みになっています。その問題を音楽ミステリー仕立てにして問題提起してくれた作者の手腕に感心します。

行政による綾峰フィルへの財政支援を批判する急先鋒の吉見の挑発的言動に対して、討木はこう返します。

「地域のオーケストラというのは、いってみれば図書館みたいなものですよ。図書館は儲からない。けれど存在価値があると、多くの人から認められている。図書館を使わない人の税金も、一部は図書館に使われているのはなぜか。それは図書館が、図書館を使わない人のためにも存在しているからです。綾峰フィルだって、音楽に関心のない、五秒で寝てしまう人のためにも、演奏しているんです。人生のいつかどこかで、図書館を利用することになるかもしれない。ふっと思い立って、クラシック音楽を聴いてみる気になるかもしれない。その時のために綾峰フィルは、腕を磨いて待っているんです。」(同書127頁より)

討木の言葉は、文化とは、芸術とは何のためにあるか、という問いへの一つの見識を示しています。どんなに財政的な余裕がなく苦しい台所事情にあったとしても、こうした見識を持った、成熟した町や国に住みたいと、私は思います。

藤谷治『綾峰音楽堂殺人事件』 ポプラ社2019年6月刊