「校長ブログ」 No.91(2017年6月5日)

2017.06.05

小川糸『ツバキ文具店』

1年半くらい前から備忘録や日記を書く時に、しばらく机の中で眠っていた古いパーカーの万年筆を使うようにしています。生徒のみなさんが使う筆記用具はボールペン、シャープペンがほとんどでしょう。万年筆を使ったことがない中高生も多いと思いますが、私たちの世代までは親戚からもらう中学入学祝いの定番は万年筆でした。

万年筆は慣れるまでには時間がかかりますが、筆跡に独特の味わいがあり書く人の個性が文字に表れる特徴があります。ボールペンと違って筆圧をかけなくてもサラサラとペン先からインクが出てくる感じが心地よく、自分の筆圧や癖にあった万年筆を選ぶのも楽しいものです。私はちょっとした挨拶やお礼状に絵葉書を出すことが多いのですが、それもボールペンではなく万年筆で書くようになりました。そのほうが、より相手の方に自分の気持ちが届くような気がします。

ふだん人とのやりとりは電子メールやSNSを使うことが多いかと思いますが、ここ一番の大切な時(その最たるものは愛の告白でしょうか…)は、やはり手書きの手紙に限ります。自筆の文字には自分の魂が乗り移っているかのような気持ちになりますし、筆跡から書き手の喜怒哀楽が伝わる気がします。

NHKでドラマ化された小川糸さんの『ツバキ文具店』は、そんな手書きの文字で綴られた手紙の良さをほのぼのと感じさせてくれる小説です。

鎌倉の山の麓の小さな文房具屋「ツバキ文具店」のもう一つの顔は、十一代続くと言われる代書屋稼業。代書屋とは本人に代わり書類や手紙などの代筆を行う仕事(司法書士や行政書士の仕事も代書業)。亡くなった祖母の後を継いだ鳩子(通称ポッポちゃん)の元にはペットのお悔やみ状、離婚の報告、かつての婚約者への近況報告、借金の依頼を断る手紙に、親友への絶縁状、亡くなって久しい天国の夫から妻に宛てたラブレター等々、風変わりな依頼が次々と舞い込む。依頼人の思いをすくい取って文字にして相手に届けることで、鳩子はさまざまな人々の人生の機微に触れる。晩年は行き違いから絶縁状態にあった祖母の鳩子への思いにも触れて、鎌倉の四季の移ろいとともに代書屋として成長していく…。

鳩子は依頼人の思いが相手に伝わるのに最もふさわしい筆記用具と紙を選び、筆跡も文面にあわせて変えていきます。随所に実際に肉筆で書かれた手紙本文が掲載されているのがミソです。

同じ文章でもキーボードで打ったものと直筆では、書き手の気持ちの伝わり方はやはり違うと思います。あなたも、たまには大切な誰かに直筆の手紙を書いて送って差し上げたらいかがですか。この小説は読む者をそんな気にさせてくれます。

小川糸『ツバキ文具店』(幻冬舎 2016年刊)