「校長ブログ」 No.76(2017年1月10日)

2017.01.10

あけましておめでとうございます

本日は三学期の始業式。生徒のみなさんと新年の挨拶を交わすことができました。

今年は酉年。“酉”は鶏を表す字ではなく、諸橋轍次の『大漢和辞典』によると、本来はお酒を盛る器の象形で、酒は秋の8月に黍が成熟してから醸造するので、成る・老いるなどの意味をおび、十二支の第十番目として動物では鶏(とり)にあてたそうです。

諸橋轍次の『十二支物語』という本には、中国の古典である『荘子』や『列子』に出てくる「木鶏」という故事が紹介されています。

周の宣王(前9世紀末~前8世紀前半にいたとされる西周第11代の天子)はたいへん闘鶏を好み、紀渻子(きしょうし)という者に闘鶏の訓練をさせた。早く闘鶏を見たい宣王は10日たつと紀渻子にもう闘わせてよいかと聞く。紀渻子はまだまだと答える。なぜかと問うと、この鶏はどこか驕り高ぶり気を恃むところがあるからだという。また10日たち、もうよいかと聞くが、まだ相手を疾(にく)んで気を盛んにする様子が見られるからだめだという。さらに10日たって聞くと、ようやく紀渻子は承諾し、なぜなら相手の鶏が声を立てて騒ごうが少しも動ずるところがないからと答えた。果たしてその鶏を見ると、まるで木で作った鶏のように何の表情も何の感動もないものになっていたという。とかくこの世は争いごとが絶えないが、こちらに争心があるから敵も出てくる。しかし、こちらに争心がなければ、あえて戦いを挑んでくる敵も自然となくなる、というのがこの「木鶏」の教えです。

さて、2017年は年初から何やら波乱含みの様相を呈していますが、「木鶏」の故事にならって争心を取り除き、穏やかな1年であって欲しいと願うばかりです…。


参考文献
諸橋轍次著『大漢和辞典』第11巻(大修館書店刊)
諸橋轍次著『十二支物語』(大修館書店刊)