「校長ブログ」 No.52(2016年5月28日)

2016.05.28

なりたかった大人になれなくても… 映画『海よりもまだ深く』

是枝裕和監督の最新作『海よりもまだ深く』を観てきました。

15年前に一度文学賞をとって以来鳴かず飛ばずの自称小説家の良多(阿部寛)は、絵に描いたようなダメ人間。今は取材と称して探偵事務所に勤めているが、実際は完全に本業化している。元妻(真木よう子)には愛想を尽かされ離婚。11歳の一人息子と月に一度会うことだけが彼の楽しみだが、ギャンブル好きが災いして満足に養育費も払えず肩身の狭い思いをしている。元妻に再婚相手ができたらしいと知ると、事務所の後輩探偵(池松壮亮)を誘って彼女と恋人の周辺を密かに探るという情けなさ。そんな彼の年老いた母親(樹木希林)は郊外の団地(なんと是枝監督が10代のころに住んでいた清瀬市の旭が丘団地がロケ地!)に一人で住んでいて、良多は金に困ると母の元にやって来ては金目のモノはないかこっそり物色する始末。
ある日、たまたま母親の家に集まった良多と元妻と息子は、台風のために帰れなくなり、4人は一晩をともに過ごすことになる…。

是枝監督の他の作品(『歩いても 歩いても』、『海街diary』…)同様に、日常生活のありがちな光景をスケッチしながら、十分に考えられ練られたセリフで登場人物たちの心の動きをていねいに描き出していて鮮やかです。派手なアクションもサスペンスもなく、唯一ドラマチックなのは深夜の台風シーンくらいですが、登場人物たちのちょっとした一言や何でもない仕草に思わずクスリと笑ってしまい、ぐいぐいドラマに引き込まれてあっという間の2時間でした。

是枝監督はシナリオの最初のページに「みんながなりたかった大人になれるわけじゃない」と書き込んだそうです。かつて持っていた夢や希望とはほど遠い現実の自分の姿とどう向き合うか。良多のように夢を追ってばかりいて現実の世界を受け入れないでいると、人はいつまでも幸せにはなれない。今を愛することができて、はじめて前に進むことができる。是枝監督がこの作品に託したテーマです。

映画の中の印象的なシーンに、深夜、団地の狭苦しいキッチンで老母が良多に「幸せは何かを諦めないと手に入らないものなのよ」といった一言を発するのですが、その思いは良多同様に画面を見つめている観客にもしっかりと響いてきます。

主演の阿部寛は、せこくて見栄っ張りで嫉妬深いダメな中年男を、目の動きや歩き方や台詞回しで体現していてほんとうに素晴らしい。真木よう子も甲斐性のないダメな元夫に愛想を尽かしきれない部分もあることをうまく演じています。もちろん樹木希林の、良多には少々嫌みに聞こえるような言葉を投げかけながらも、実のところは出来の悪い息子のことを誰よりも気遣い寄りそう姿に、親子の情愛が表現されていて感じ入ってしまいます。

台風一過、青空の広がる朝を迎えて、バラバラになった家族が元の鞘に収まるわけではありませんが、それでもそれぞれが前に向かって進んでいこうとする清々しさが感じられるラストに趣があります。

是枝監督会心の一作、是非ご覧下さい。