「校長ブログ」 No.38(2016年1月27日)

2016.01.27

自分を信じて…

お正月早々、僕が担任していた中学1期生たちのクラス会に出席してきました。中には高校卒業以来、久しぶりに再会した卒業生もいました。

そのうちの一人がこんな話をしてくれました。

彼は大学、大学院でデジタル無線通信技術を研究し、今はある大手通信会社に勤めています。

入社後すぐに自ら希望して仙台に赴任して東北地方の携帯エリアの構築に携わり、震災後はライフライン復旧事業にも参加したそうです。その一方で新規ビジネスにも興味を持ち、ベンチャー技術を事業化するためアメリカのシリコンバレーに行って、同世代のベンチャー社長たちとの仕事を通じて大いに刺激を受けたそうです。2年前には東南アジアでの携帯ビジネス参入事業担当に自ら応募して選ばれ、今は日本と海外を行ったり来たり(1年の半分は海外)しているとのこと。

彼は自分のキャリアを振り返ってこんなことを言っていました。

比較的楽で取り組みやすいけれどあまり面白味のない仕事と、とてもハードで難しいけれどやってみたい仕事があったら、やりたいことを選んでいくほうが良いのかなと思っている。東北での仕事もシリコンバレーも今の海外事業も「やってみたいなあ」と思って自ら手を上げたらそのチャンスが来たし、それに真面目に取り組んでいたら次から次に広がっていったという感じがする。まあ、たとえ仕事で失敗しても、死ぬことはないと開き直ってやっています…。

同じようなことを、僕の別なクラスの卒業生も言っていました。彼はほとんどの卒業生が電大に推薦進学する中であえて推薦をとらずに大学受験にチャレンジしました。一浪後に志望大学に合格し大学院修了後は超一流企業に就職できました。ところがもっと研究を続けたいという思いを断ち切れず、周囲の反対を押し切って退職し博士課程に入り直します。 (この時すでに結婚していたはずです) 学位は取ったものの就職先などありません。ポスドク(ポストドクター、任期制の博士研究員のこと)という極めて不安定な雇用状況のもとでコツコツ研究を続け、今はつくば市にある大きな研究所の主任研究員をしています。

彼は人生における意思決定において、困難な道と容易な道があったら常に困難な道を選んできたと僕にはっきり言いました。高校卒業時の進路選択も会社を辞めるときもポスドクに進むときも、たぶん彼は純粋に自分がしたいことやりたいことを優先して選択したのだと思います。だから、仮にその選択で望ましい結果を得られなかったとしても、その責任は引き受ける覚悟があったのでしょう。

すべての人が彼らのような「勇気ある決断」はできないかもしれません(僕自身はどちらかというと石橋を叩いて渡るタイプだと思っていますが…)。
でも、人生のさまざまな局面での意思決定の際に、この二人の先輩たちのような考え方もあることは覚えておいても良いのではないでしょうか。


折しも大学受験という大きな関門に立ち向かっている高校3年生たち(あるいは、本校を目指されている中学受験生、高校受験生のみなさん)を思いながら書かせてもらいました。