「校長ブログ」 No.12(2015年6月23日)

2015.06.23

今回の校長ブログは高校教頭の平川が代打で登場です

「わからない」を楽しむ

もう数年前に卒業した生徒の話しです。その生徒は手品が得意で、時おりクラスメイトを相手にその腕前を披露していました。僕も、彼の在学中に一度だけ、その輪に混じって見せてもらったことがあります。友人たちが固唾を飲んで見守る中、彼は鮮やかな手さばきでカードを操ると、テレビに登場するプロマジシャンさながらに、次々とカードを言い当てました。びっくりした僕は、思わず彼に、「いったいどういう仕掛けなの?」と聞いたのですが、それに対する彼の言葉を、僕は今でもはっきりと覚えています。

「先生。マジックっていうのはエンターテインメントなんですよ。見て楽しめば、それでいいんです。そう簡単にタネを教えられません。」

そんなことをふと思い出したのは、つい先日、機械工学を研究している大学の先生とお話をする機会があったからです。その先生からは、ご自身の研究分野についてうかがっていたのですが、先生とのお話の中で、高校までの「勉強」と大学での「研究」との違いに話題が及び、そのことについて、その先生は次のようにおっしゃいました。

「大学では、既に答えの出ている題材を研究しても意味がありません。きっとこれが、高校までの勉強と大きく違っている点でしょう。だから、大学での研究には先の見えない苦しさがあり、研究そのものを楽しめる人でなければ向かないのです。」

この先生のおっしゃるように、既に答えの出ている問題に取り組むのなら、それは単に先人の研究をなぞるだけで終わってしまいます。もちろん、時にはそれも必要なことなのでしょうが、しかし、答えの見えない問題、あるいは答えがあるかどうかもわからない問題に取り組むことをしなければ、新しい発見や発明が生まれないのも事実です。そしてここには、マジックをエンターテインメントとして純粋に楽しむ気持ちに通じるものがあるような気がします。おそらく、これまでの人類の発展を支えてきたのは、こうした「わからない」を楽しむことのできる人たちだったのではないでしょうか。

世の中には、まだ人類の解明していない「わからない」ことがたくさんあります。それは、あたかも人類の目の前で壮大なマジックが展開されているかのようです。だとしたら、我々はこれからもそのマジックのタネを、「ああでもない、こうでもない」と考え続ける運命に置かれているのでしょう。けれども、その「わからない」はきっと、人類にとってこのうえなく楽しいことに違いありません。

冒頭の卒業生は、大学進学後もマジックを続けていたそうです。彼は、大学でもきっとその鮮やかな手さばきで多くの友人を驚かせていたことでしょう。そして、彼自身もまた、大学での研究活動を通して、「わからない」ことの楽しさを味わっていたことと思っています。

(高校教頭:平川 吉治)

 

なんの実験だろう?(今年の学校案内の表紙です)