「校長ブログ」 No.86(2017年4月18日)

2017年4月18日 8:40 AM

論争「読書は必要か?」

 

3月に朝日新聞「声」欄に掲載された大学生の投稿がきっかけとなり、同欄には短期間に100通以上の反響が寄せられ、読書の必要性や紙の「本」という媒体をめぐる熱い論争(別に闘ってはいませんが)が繰り広げられています。昨日の読書欄でも採り上げられ、歌人の穂村弘さんが読書の持つ意味について書かれています。

 

そもそもは「大学生の読書時間『0分』が5割に」(全国大学生協連16年調べ)という記事が発端となっています。最初の投稿者である男子大学生(21歳)は「読書が生きる上での糧となると感じたことはない。読書は楽器やスポーツと同じように趣味の範囲であって、読んでも読まなくても構わないのではないか。なぜ問題視されるのか…」と述べています。

 

これに対して、幅広い年代の読者からさまざまな意見が寄せられました。「時間をかけてまで読書する必要なし。読書を押しつけないで」と女子中学生。「いかにたくさんの人と出会うかが読書」という60代男性。「本はメリットを考えて読むものではない。嫌いなら無理する必要はない」とちょっと突き放した言い方の50代女性。また「あなたのお便りこそが本の原点」と大学生に語りかける70代男性。さらに、読書を紙媒体の本と限定することが時代の趨勢からずれているのでは、といったネット、スマホ時代の新しい読書のあり方を提議するご意見もあり、まさに百花斉放状態。「読書は何のために?」というテーマは、日ごろ新聞に目を通している活字中毒者にとって、とても重要な話題であるようです(本当に読書しない人はそもそも新聞など見ることはないのかも…)。

 

中高時代に読んだ唯一の本は『坊っちゃん』一冊きり、と言っていたクラスメートがいました。本は読まないが国語は素晴らしく良くできて、難関大学に現役進学し超一流企業に勤め、今やそのトップとなっています。人間的にも素晴らしい私の親友の一人です。彼を見ていると、確かに読書しなくても、生きていく上で何ら支障がないというのはその通りかもしれないと思います。(ただし、社会人になってからも、彼が読書を一切してこなかったかどうかは不明ですが…)

 

でも、読書も楽器やスポーツと同じように「趣味の範囲」なのかと言われると、私にはちょっとためらいがあります。履歴書の「趣味・特技」欄に読書と書き込むのは何だか違うようにずっと思っていました。余暇の楽しみというよりも、ちょっと気障な言い方ですが、私にとっては、もう少し根源的な精神的営みのような気がしています。それ以上言葉で説明するのは難しいのですが、きっと、人としての生き方やあり方と深い関係があるように思っています。なぜなら、これまでの人生で判断に迷ったり悩んだり苦しんだりした時に、本を通じて決心したり慰められたり勇気づけられたことがたびたびあるのですから。

 

さて、あなたにとって読書はどんな意味がありますか?