「校長ブログ」 №82(2017年3月2日)

2017年3月2日 1:00 PM

難民問題を考える ~映画『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』~

 

トランプ米国大統領が就任早々出した大統領令を待つまでもなく、移民難民問題は世界の最重要課題の一つでしょう。今日も世界各地の政情不安地域から、多くの人々が自由と安全を求めて逃避行を続けているはずです。日本でも1970年代末にはインドシナ各地からのボートピープルを難民として受け入れていた時期がありましたが、現在の難民出身国が主に中東やアフリカであるためか、私たちにとってこの問題は遠い国の話にしか感じられないのが実情かも知れません。しかし、実際には2015年日本政府に新たに難民認定申請した人数は7586人で、そのうち認定されたのは、わずかに27人だそうです(2016年1月23日 法務省入国管理局プレスリリースより)。

 

中東やアフリカ各地からヨーロッパをめざす難民ルートの一つに、北アフリカの地中海沿岸からイタリア半島に向かうルートがあります。地中海をすし詰め状態の老朽船で渡るのですから陸路より危険度は高いかもしれません。イタリア最南端に位置する人口5500人のランペドゥーサ島は、そうした難民たちを受け入れる最前線です。1年半にわたってこの島に住み、島民と難民の交錯を記録したジャンフランコ・ロージ監督のドキュメンタリー映画『海は燃えている』を観てきました。

 

島民と難民の交錯とは書いたものの、実際には難民は海上で保護されてそのまま島内の施設に収容されてしまうので、両者がふれあう場面はありません。映画は島民の日常生活と、海上での救助活動や収容施設での難民の様子を交互に映し出します。狂言回しの一人に手作りのパチンコで鳥撃ちに夢中な12歳になるサムエレという少年が登場します。彼らの日常生活のどこにも難民の姿を感じさせるものはありません。ひたすら穏やかで静謐な島の暮らしが描き出されます。しかしその一方で、島の沖合では沈没寸前のオンボロ船で死と隣り合わせの難民がいるのです。運良く救助された難民たちの、安堵とはほど遠い茫然自失とした表情をカメラは容赦なく記録しています(こんなに疲労感と悲愴感に刻まれた人間の顔を私は見たことがありません…)。平穏さと苛烈さが同時に存在するランペドゥーサ島。極端に異なる二つの世界を、ナレーションやテロップといった“言葉”という便利な道具を一切使用せずに、映像のみで表現するロージ監督の感性と編集力に唸らされます。

 

難民と直接ふれあう唯一の島民であるバルトロ医師が、難民たちの悲惨な状況を記録した画像を見ながら「こうした人々を救うのはすべての人間の務めだ」と語るシーンがあります。直接ふれあう機会はないが、海の向こうからやって来る難民たちをやっかいな存在としてではなく、同じ海、同じ世界に生きる者同士として静かに受け入れようという島民の思いは映像の端々から感じられました。

 

映画のラスト近く、夜明け前の薄暗い中、いつもパチンコで鳥撃ちしている茂みにやってきたサムエレ少年。木の枝でさえずる1羽の鳥を見つけると、パチンコではなく、鳴き真似で鳥とあたかも会話を始めるシーンがたいへん意味深長です。

 

ランペドゥーサ島のある地中海は、国境という人為的な境界が生まれる17世紀の主権国家体制成立の遙か前から、フェニキア人、ギリシア人、ゲルマン人そしてイスラームといった、種々雑多な民族・集団が往来して、文化、宗教、言語などさまざまな交流の舞台となった世界です。そうした歴史的背景も想起すれば、現在の移民難民問題にも違った観点で解決策を考えることができるかもしれません…。

 

(ジャンフランコ・ロージ監督作品 渋谷Bunkamuraル・シネマで公開中)